江戸時代、なかなか富士山詣〔富士神社)に江戸の町民がいけないので、高さ8メートル位の富士山に模した山を造り、富士山詣での替わりにしました。 今でも岩のあるごつごつした山が残っています。
要町のお客様の外装工事を含めた現場調査に行ったついでに、写真を撮って着ました。ご覧ください。
現在は、危険な為フェンスで登れないようにしていますが、私が小学生の頃、悪がき連中と行ったものです
要小学校から徒歩5分位の高松町と要町との境にあります。(隣が小さい公園)




富士講として、江戸八百八講と称されるほどの講が結成されていたとの事。
その講の人たちで築山したとの事。